おおつうしん けいじばん
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    過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。

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    浜大津駅近くにある「大津城跡」碑

    1600年9月3日(慶長5年)
    西軍に応じて前田征伐に向かった京極高次が東軍に転じ、塩津で兵を返して大津城に籠城する 『寛政重修諸家譜』


     大津城主の京極高次が西軍(豊臣側)から東軍(徳川側)に寝返り、大津城に帰城・籠城した日。

     関ヶ原の戦い(同年9月15日)の前哨戦のひとつ「大津城の戦い」の始まり。

    秀吉が没した後の慶長5年(1600年)、徳川家康と石田三成の対立が深まっていた。

    そうした中、会津の上杉景勝を討つべく大坂を発った家康は、翌々日の6月18日に大津城へと立ち寄り、京極高次は家康から上杉征伐の間のことを頼まれ、弟の京極高知と家臣の山田大炊を家康に伴わせる。しかし三成も家康を討つべく諸大名を誘っており、高次は氏家行広と朽木元綱から三成の西軍へ属することを求められる。これに対して家康の東軍からも、再三の書状により大津城の堅守を頼まれる。

    高次は大津城の守りが弱いことから一旦は西軍へ属することを決め、大坂へ嫡子の熊麿(京極忠高)を人質として送り、大津城を訪れた三成と面会する。しかし関ヶ原への出陣に備えつつ、西軍の動向を東軍に伝える。

    9月1日、高次は西軍と共に大津城を発ち、2日には越前国の東野へと至るが、ここから海津を経て船で大津城へと戻る。3日、城に兵を集め兵糧を運び込み、籠城し西軍を抑える旨を、家康の重臣である井伊直政に伝える。

    高次の行動は即大坂へと伝えられ、城近くの逢坂関にいた毛利元康(西軍総大将毛利輝元の叔父)軍が大津の町へと攻め寄せた。

    京極高次 - Wikipediaより

    大津城跡碑


    関連リンク
    びわ湖大津よりどり観光ガイド<音声で紹介する戦国の大津歴史舞台>
    京極高次 - Wikipedia
    大津城の戦い - Wikipedia
    1600年 - Wikipedia

    その他の今日の出来事
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