おおつうしん けいじばん
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    過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。

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    勾当内侍の墓がある野神神社(今堅田)

    1338年9月9日(暦応元年)
    新田義貞の戦死を悲しんだ勾当内侍が今堅田で入水する 『泉福寺文書』


    新田義貞の戦死を悲しんだ妻の勾当内侍が、今堅田で入水したと伝えられている日。

    今堅田2丁目の野神神社に勾当内侍廟(お墓)があります。

    野神神社では、勾当内侍の命日の旧暦の9月9日にあたる10月上旬に例祭が行なわれてるみたい。
    「きちがい祭」という例祭で、非業の死を遂げた霊が稲作にたたらないよう鎮めるための神事だそうです。

    こちらで2011年の「きちがい祭」の様子が紹介されています
     LINK:野神神社例大祭・きちがい祭り(野神神社)



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    教育委員会の案内板「勾当内侍の墓」

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    野神神社 内侍祭講中「勾当内侍の事」
    読めなさそうなのでこちらにちょっと大きめの画像。

    勾当内侍(こうとうのないし)は、南北朝時代の女性である。本名は不詳。『太平記』に新田義貞の妻の一人として登場する。

    『太平記』によると、義貞の死後、勾当内侍は京都の嵯峨にある往生院で、義貞の菩提を弔って余生を過ごしたとされる。

    一方で、琵琶湖琴ヶ浜に入水したという伝説が、大津市堅田にある勾当内侍を祭神とする野上神社(野神神社)・菩提寺の泉福寺に伝わっており、慰霊のための野上祭(野神祭)も行われている。


    新田 義貞(にった よしさだ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての御家人・武将。
    正式な名は源 義貞(みなもと の よしさだ)。

    鎌倉末期から南北朝の混乱の時代にあって、足利氏と並び武家を統率する力のある家系であった新田家の当主で、足利尊氏の対抗馬であり、好敵手でもあった。

    ただし、鎌倉時代後期の新田家は足利家に対して従属関係にあり、延元の乱以前の義貞は尊氏の指揮下の一部将であったとする研究もある。

    また、軍記物語『太平記』においては、前半の主人公の一人とも言える存在である。


    本堅田1丁目の湖族の郷資料館では、勾当内侍のことがパネルで紹介されてます。

    関連リンク
    野神神社例大祭・きちがい祭り(野神神社)
    勾当内侍の塚|歴史事典|大津市歴史博物館
    野神祭り|歴史事典|大津市歴史博物館
    泉福寺 | 大津市 | 真宗大谷派泉福寺
    堅田・勾当内侍廟
    1338年 - Wikipedia


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