おおつうしん けいじばん
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過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。

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堅田衆が逃げた沖島(沖ノ島)

1470年11月9日(文明2年)
堅田衆が山門(延暦寺)に礼銭を支払い、堅田への還住を許される 『本福寺文書』


「堅田大責(かたたおおぜめ)」
で沖島に落ち延びた堅田衆が、山門(延暦寺)に礼銭・礼物を支払うことで、堅田への還住が許された日。

「堅田大責」の発端は、京都で造営中だった将軍足利義政の「花の御所」の用材運搬船に堅田衆が海賊行為を行なったことで、これに怒った鎌倉幕府が延暦寺に命じて堅田を攻めさせたそうです。これにより堅田は全焼し、山門に味方した今堅田にも類炎・炎上したとのこと。

領主である延暦寺が「仏敵」とした蓮如を堅田が匿っているという事実は延暦寺を刺激した。更に延暦寺はかねてから殿原衆が勝手に上乗を請求していることに対しても不満を抱いていた。

そんな最中の1468年、室町幕府御蔵奉行が花の御所再建のために調達した木材を運搬する船団が上乗を払わないことを理由に堅田衆が積荷を差し押さえたのである。

激怒した室町幕府8代将軍足利義政は領主である延暦寺に堅田の処分を要求した。同年4月16日、延暦寺は堅田に対して焼き討ちを行った。

これによって延暦寺を支持していた地域を含めて堅田の町のほぼ全域が焼失して住民は沖島に逃れたという。これを堅田大責(かたたおおぜめ)と言う。

だが、2年後に今度は延暦寺と堅田の南にある坂本との衝突が起きると、延暦寺側が譲歩して延暦寺に多額の礼金を上納することを条件に堅田の再興が許されることになった。

この戦いで対延暦寺戦で大敗を喫した殿原衆は権力を失墜させて逆に全人衆は彼らと対等な発言力を獲得することになった。


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島中に猫がいるわけではありませんが、最近「猫島」として有名になりつつある沖島。

LINK:“猫島”なのに猫がいない?! 琵琶湖に浮かぶ沖島は本当に猫島なのか (1/2) 〈dot.〉|dot.ドット 朝日新聞出版


関連リンク
堅田 - Wikipedia
ようこそ 沖島へ(沖島漁協)
琵琶湖に浮かぶ沖島 近江八幡観光物産協会
1470年 - Wikipedia

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