11月18日【今日は何の日?】室町幕府が六角高頼の使者を大津の八丁浜道場で謀殺する

    過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。

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    現在の顕証寺(近松別院)

    1491年11月18日(延徳3年)
    幕府が六角高頼の使者山内政綱を大津の八丁浜道場(顕証寺の前身)で謀殺する 『蔭涼軒日録』

    六角氏の降伏の使者の山内政綱が室町幕府の謀略により敗死した日。

    室町幕府第10代将軍の足利義材(のちの義稙)は第二次六角征伐のため、同年9月に軍勢を近江に向けました。11月に六角氏は和睦を試みるため、降伏使として宿老の山内政綱を園城寺に陣取る義材のもとへ派遣。

    第二次六角征伐

    延徳2年(1490年)1月7日、8代将軍だった足利義政が死去、同年7月5日、伯母の日野富子の推挙により、足利義材は10代将軍に就任し、六角行高を赦免したが、同年10月、六角氏の内衆は寺社本所領の返還を拒絶した。

    延徳3年(1491年)4月21日、足利義材は六角征伐近を行うことを宣言した。父の足利義視は同年1月、母の日野良子は前年10月に相次いで死去、また伯母の日野富子とは疎遠となっており、義材は京で孤立を深め奉公衆の力を必要としていたと考えられる。

    長享・延徳の乱 – Wikipedia

    しかし、政綱は宿舎の八丁浜の大津浜道場(顕証寺の前身・位置不明)で諸大名軍の攻撃を受けて敗死したそうです。室町幕府軍vs六角氏となった第二次六角征伐は、幕府軍の勝利という結果になっています。

    山内 政綱(やまうち まさつな)は、室町時代後期の武将六角氏の家臣。

    延徳3年(1491年)、第10代将軍・足利義材による第二次六角征伐の際、義材に大津園城寺へ呼び出され斯波義寛赤松政則の軍に殺害された。

    山内政綱 – Wikipedia
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    近松別院(顕証寺)の由来

    関連リンク
    三井寺>三井寺について>歴史散歩(三井寺を旅した人)>浄土真宗中興の祖・蓮如上人と、三井寺の出会い。
    室町幕府 – Wikipedia
    1491年 – Wikipedia

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    コメント

    コメント一覧 (2件)

    • > タイトルと本文中の「六角正綱」は「山内正綱」のことでしょうか…。
      山内さんに訂正しておきます。ありがとうございます。
      参考図書には『佐々木宮内大輔(六角正綱)』とあるのですが、六角正綱で検索してもヒットするのはこの記事だけですね。

    • タイトルと本文中の「六角正綱」は「山内正綱」のことでしょうか…。

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