おおつうしん けいじばん
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過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。

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現在の顕証寺(近松別院)

1491年11月18日(延徳3年)
幕府が六角高頼の使者山内正綱を大津の八丁浜道場(顕証寺の前身)で謀殺する 『蔭涼軒日録』

訂正:記事投稿時に「六角正綱」と書いていたものを「山内正綱」に訂正しました。


六角氏の降伏の使者の山内正綱が室町幕府の謀略により敗死した日。


室町幕府第10代将軍の足利義材(のちの義稙)は第二次六角征伐のため、同年9月に軍勢を近江に向けた。

11月に六角氏は和睦を試みるため、降伏使として宿老の山内正綱を園城寺に陣取る義材のもとへ派遣。
しかし、正綱は宿舎の八丁浜の大津浜道場(顕証寺の前身・位置不明)で諸大名軍の攻撃を受けて敗死したそうです。

幕府軍vs六角氏となった第二次六角征伐は「幕府軍の撤退」という結果になったみたいです。


第二次六角征伐

義尚の従弟で後を継いだ10代将軍・足利義材も、延徳3年(1491年)に再び行高討伐を行った。

行高に替えて細川政元を近江守護に任じたが、斯波義寛赤松政則の両軍が六角一族の山内政綱を討ち取った他は戦果を挙げられず、行高が甲賀郡から伊勢国へ逃れたため、幕府軍は討伐を断念。

政元に替えて六角虎千代六角政堯の養子)を守護に任命して近江から撤退した。
この時、土岐成頼、斎藤妙純は幕府軍に合流し、関係が変化している。


山内 政綱(やまうち まさつな)は、室町時代後期の武将六角氏の家臣。

延徳3年(1491年)、第10代将軍・足利義材による第二次六角征伐の際、義材に大津園城寺へ呼び出され斯波義寛赤松政則の軍に殺害された。


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現在の顕証寺(近松別院)の由来



関連リンク
三井寺>三井寺について>歴史散歩(三井寺を旅した人)>浄土真宗中興の祖・蓮如上人と、三井寺の出会い。
室町幕府 - Wikipedia
1491年 - Wikipedia