過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
1978年2月9日(昭和53年)
県教委が大津宮跡を錦織地区と断定する 『朝日滋賀』
滋賀県教育委員会が大津の宮跡を錦織地区と断定した日。
このあと1979年(昭和54年)11月に「近江大津宮錦織遺跡」として国の史跡に指定されています。
大津市内に(おそらく)19件ある国の史跡のひとつ。滋賀県内では51件の史跡(うち特別史跡2件・2都道府県以上にまたがる史跡4件を含む)のひとつになります。
近江大津宮(おうみおおつのみや/おうみのおおつのみや)は、飛鳥時代に天智天皇が近江国滋賀郡に営んだ都。天智天皇6年(667年)に飛鳥から近江に遷都した天智天皇はこの宮で正式に即位し、近江令や庚午年籍など律令制の基礎となる施策を実行。天皇崩御後に朝廷の指導者となった大友皇子(弘文天皇)は天武天皇元年(672年)の壬申の乱で大海人皇子に敗れたため、5年余りで廃都となった。
史料上は「近江大津宮」のほかに「大津宮(おおつのみや)」・「志賀の都(しがのみやこ)」とも表記されるが、本来の表記は「水海大津宮(おうみのおおつのみや)」であったとの指摘もある。1974年(昭和49年)以来の発掘調査で、滋賀県大津市錦織の住宅地で宮の一部遺構が確認され、「近江大津宮錦織遺跡」として国の史跡に指定されている。
近江大津宮 – Wikipediaより
1974年(昭和49年)、錦織一丁目の住宅地の一画で発掘調査が行われ、初めて内裏南門跡と考えられる13基の柱穴が発見された。柱穴からは670年頃の時期を示す須恵器・土師器片が出土したため、錦織遺跡が大津宮の遺構と断定されるに至った。住宅街のため早急な調査範囲の拡大は困難だったが、住宅の新築や増改築などに伴って発掘が積み重ねられた結果、南門から東西に伸びる回廊(複廊)を境に、北側には内裏正殿とそれを囲む板塀、南側には朝堂院と想定される空間が広がっていることなどが判明した。
近江大津宮 – Wikipediaより
関連リンク
■近江大津宮 – Wikipedia
■天智天皇と大津京 史跡と伝承|近江神宮
■国指定文化財等データベース
その他の今日の出来事
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1984年-広域基幹林道牧・富川線が開通
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