過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
1870年4月24日(明治3年)
膳所藩知事の本多康穣が膳所城の廃城を新政府に願い出る 『東京大学史料編纂所所蔵文書』
膳所藩知事 本多康穣が「膳所城の廃城」を新政府に願い出た日。翌25日に許可されたそうです。早い。
本多 康穣(ほんだ やすしげ)は、近江膳所藩の第14代(最後)の藩主。康俊系本多家宗家14代。
康穣は諸藩に先駆けて版籍奉還を願い出て、明治2年(1869年)6月、版籍奉還により膳所藩知事に任じられる。明治4年(1871年)7月、廃藩置県により知藩事職を免職された。明治17年(1884年)の華族令で子爵に叙せられる。明治35年(1902年)、現神道大教第3代管長に任じられ、従二位に昇叙された。
明治45年(1912年)2月28日に死去した。死因は脳溢血とされる。
本多康穣 – Wikipedia
滋賀県のウェブサイトで「本多康穰膳所城廃城願写」が紹介されています。
LINK:【展示】公文書に見る近代の城郭|滋賀県ホームページ
膳所城(ぜぜじょう)は、現在の滋賀県大津市本丸町にあった日本の城である。
明治3年(1870年)新政府の早期実現を望む藩士達により、廃城の太政官布告が出された翌日より天守以下の建物の解体・移築が行われた。現在は完全に陸続きとなった本丸跡は「膳所城跡公園」として整備され、石垣がわずかに残っているほか、門が模擬再建されている。城門は膳所神社(本丸大手門)、篠津神社(北大手門)、鞭崎八幡宮(南大手門)に現存しており、それぞれ国の重要文化財に指定されている。なお、高麗門は大阪府泉大津市松之浜町2丁目の「細見記念財団」が所有する地に移築されている。市内の芭蕉会館に本丸隅櫓が移築され現存しているが、大幅に改造されており原形を留めていない。
膳所城 – Wikipedia
関連リンク
■膳所城跡公園 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!
■膳所城 – Wikipedia
■1870年 – Wikipedia
その他の今日の出来事
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