過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
徳川家茂像(徳川記念財団蔵)を加工 PD
1863年3月3日(文久3年)
将軍徳川家茂が上洛の途中、大津宿に一泊、大津代官所を宿所とする 『湊町共有文書』
江戸幕府の第14代将軍 徳川家茂が京都への上洛の途中に大津で一泊した日。
徳川 家茂(とくがわ いえもち)は、江戸幕府第14代将軍(在任:1858年 – 1866年)。初めは第12代将軍・徳川家慶の偏諱を受け、慶福(よしとみ)と名乗っていた。
文久2年(1862年)に公武合体策の一環として和宮と結婚。政略結婚ではあるが、和宮に対してたびたび贈り物をするなど細やかな気配りをし、2人の関係は良好であった。徳川家歴代の将軍と正室の中で最も夫婦仲が良かったのは家茂・和宮といわれたほどである。
文久3年(1863年)には将軍としては229年振りとなる上洛を果たし、義兄に当たる孝明天皇に攘夷を誓った。
慶応元年(1865年)、兵庫開港を決定した老中・阿部正外らが朝廷によって処罰されると、自ら将軍職の辞意を朝廷に上申している。このとき孝明天皇は大いに驚き慌てて辞意を取り下げさせ、その後の幕府人事への干渉をしないと約束したという。
徳川家茂 – Wikipedia
江戸幕府の将軍としては第3代将軍の徳川家光以来の上洛で、攘夷派と公武合体派に分かれていた朝廷周辺の意向をまとめる目的があったそうです。
大津代官所は大津城の本丸跡にあったみたい。京阪びわ湖浜大津駅のすぐ近く。
関連リンク
■徳川家茂 – Wikipedia
その他の今日の出来事
1989年-大津市・志賀町行政事務組合クリーンセンター完成
1869年-加賀国大聖寺藩が前年より大津川口町で建造を進めていた木造外輪汽船「一番丸」が進水する
1575年-織田信長が改修なった今道(山中越)を通り上洛する
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