過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
園城寺(三井寺) 大門
1598年8月17日(慶長3年)
豊臣秀吉が園城寺の闕所(けっしょ)を解く 『園城寺再興略記』
豊臣秀吉が没する前日に園城寺の闕所(寺領の没収)を解いた日。
1595年に豊臣秀吉が園城寺を闕所し、解かれるまでの間に金堂などが延暦寺に移され、園城寺境内の塔頭は法泉院(南院)、日光院(中院)、光浄院(中院)、上光院(北院)、三蔵坊(北院)だけになったそうです。
この闕所は、三井寺ホームページによると『三井寺最大のピンチ』だったみたい。
LINK:三井寺>三井寺について>歴史散歩(戦国武将と三井寺)>その(2) 豊臣秀吉
現在の園城寺金堂(国宝)は、1599年に豊臣秀吉の正室の北政所によって建立されています。
文禄4年(1595年)、三井寺は豊臣秀吉の怒りに触れ、闕所(寺領の没収、事実上の廃寺)を命じられている。三井寺が何によって秀吉の怒りを買ったものかは諸説あって定かではない。
この結果、三井寺の本尊や宝物は他所へ移され、金堂をはじめとする堂宇も強制的に移築された。当時の三井寺金堂は比叡山に移され、延暦寺転法輪堂(釈迦堂)として現存している。
慶長3年(1598年)、秀吉は自らの死の直前になって三井寺の再興を許可している。これは死期を悟った秀吉が、霊験あらたかな三井寺の祟りを恐れたためとも言われている。
秀吉の再興許可を受け、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められた。現在の三井寺の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものである。
関連リンク
■三井寺>三井寺について>歴史散歩(戦国武将と三井寺)>その(2) 豊臣秀吉
■三井寺>三井寺について>歴史年表
■三井寺(天台寺門宗総本山園城寺)
■1598年 - Wikipedia
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