過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
804年6月26日(延暦23年)
山城国山科駅が廃止され、近江国勢多駅にその駅馬が加えられる 『日本後紀』
山城国の山科駅が廃止され、近江国の勢多駅にその駅馬が加えられた日。この時代の『駅』は中央(首都)から一定間隔ごとに整備されていて、人や手紙を運ぶための馬が配置されていたそうです。
駅路(えきろ)とは、古代律令制において定められた駅使が通行する官道のこと。
都と大宰府及び五畿七道の全ての国府を結ぶ路線であり、中央政府の命令・地方国司の報告・緊急事態の連絡はいずれもこの道を経由して行われた。
駅路には平均して30里ごとに駅家(うまや)が置かれていた。
駅路 – Wikipedia
駅家(えきか/うまや)とは、古代日本の五畿七道の駅路沿いに整備された施設。単に駅(えき)とも称する。
駅家 – Wikipedia
駅馬(えきば/はゆま/はいま)とは、古代律令制時代の日本の駅家に配置され、駅路の通行に供用された馬。「はゆま」「はいば」の読みは早馬を意味し、急ぎの連絡便のことを表す。
駅馬 – Wikipedia
794年の平安遷都の影響で、平安京に近すぎる山科駅が衰退し、かわりに勢多駅がにぎわったそうです。大津市神領3丁目にある「堂ノ上遺跡」は『勢多駅跡』と考えられてるみたい。
堂ノ上遺跡(どうのうえいせき)は、滋賀県大津市神領にある官衙跡。1978年3月14日に国の史跡に指定され、2002年3月19日に指定範囲が追加された。
概要
奈良時代から平安時代前期まで存続した、近江国庁関連の官衙遺跡である。 琵琶湖から流れ出す瀬田川の瀬田橋から東の近江国庁方面へ古代の官道(旧東山道)が通じていたが、堂ノ上遺跡はこの官道を見下ろす、比高8メートルの独立丘陵上に所在する。周辺には古代官衙関連遺跡が集中しており、堂ノ上遺跡は『延喜式』に言及される勢多駅(せたのうまや)の跡ともいわれている。
堂ノ上遺跡 – Wikipedia
関連リンク
■堂ノ上遺跡|歴史事典|大津市歴史博物館
■804年 – Wikipedia
その他の今日の出来事
2003年-中心市街地活性化に向けて、浜大津窓口(フロント)「座」開設
1916年-前年大津市に寄付された橋本町の旧三井銀行大津支店の建物に市庁舎が移転する
1685年-観音寺朝舜が年貢米収納の滞りを理由に、代官職・船奉行職を罷免される
1367年-園城寺衆徒が南禅寺の関を破却したため、幕府は園城寺の関山(逢坂山)・四宮河原・松坂峠の三関を焼き払う
672年-大海人皇子が東国に入ったという情報が伝わり、大津宮の貴族たちに動揺が起こる。またこの日、近江朝廷が東国・倭京・筑紫・吉備に募兵の為の使者を派遣する
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