7月17日【今日は何の日?】将軍足利義政が石山寺の本尊観音開帳に際し、浜関所より船に乗って石山寺に参詣する

    過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。

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    伝足利義政像(伝土佐光信画、東京国立博物館蔵)PD

    1465年7月17日(寛正6年)
    将軍足利義政が石山寺の本尊観音開帳に際し、浜関所より船に乗って石山寺に参詣する 『親元日記

    室町幕府第8代将軍の足利義政が石山寺を参詣した日。

    足利 義政(あしかが よしまさ)は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代征夷大将軍[2](在職:文安6年4月29日1449年5月21日) – 文明5年12月19日1474年1月7日))。父は第6代征夷大将軍・足利義教、母は日野重子。第7代征夷大将軍・足利義勝の同母弟にあたる。初名は義成(よししげ)。第6代征夷大将軍・足利義教の五男[3][4]

    幼くして兄の跡を継ぎ、成長後は近習や近臣とともに親政に取り組むが、有力守護の圧力に抗することはできなかった。守護大名の対立はやがて応仁の乱を引き起こすこととなる。東山文化を築くなど、文化人的側面も多く見られるようになったが、大御所として政治に関与し続けた[5]

    足利義政 – Wikipedia

    石山寺の御本尊観音の御開帳は、33年に一度か、天皇陛下御即位の翌年に行われるそうです。
     LINK:日本唯一勅封観音 御本尊如意輪観世音菩薩 御即位御吉例 御開扉 | 大本山 石山寺 公式ホームページ

    木造如意輪観音坐像

    当寺の本尊であり、重要文化財に指定されている。本堂奥の巨大な厨子に納められている秘仏である。33年に1度の開扉と天皇即位翌年の開扉以外は原則として公開されず、開扉は勅使により行われるため、石山寺では「日本唯一勅封観音」としている。像高約3メートル。如意輪観音像は6臂像(6本の手をもつ)が多いが、本像は2臂像で、岩盤の上に直接坐している。本堂の再建と同時期の平安時代後期の作と推定される。像内からは奈良時代の金銅仏4体、水晶製五輪塔などが発見され、これらは2003年(平成15年)、本像の附属として重文に追加指定されている。本像は以下の機会に開扉されている。

    1991年(平成3年)4月10日から4月30日まで(明仁の第125代天皇即位に伴う即位吉例開扉)
    2002年(平成14年)8月1日から12月16日まで(開基1,250年記念)
    2009年(平成21年)3月1日から5月31日まで、および9月1日から12月16日まで(花山法皇一千年忌西国札所一斉開扉)
    2016年(平成28年)3月18日から12月4日まで(33年ごとの開扉)
    2020年令和2年)3月18日から8月10日まで(徳仁第126代天皇即位に伴う即位吉例開扉)[17]

    石山寺 – Wikipedia

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