過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
1091年3月8日(寛治5年)
堀河天皇が日吉社に行幸する 『後二条師通記』
第73代天皇の堀河天皇が日吉社(日吉大社)に行幸した日。
堀河天皇(ほりかわてんのう、1079年8月8日〈承暦3年7月9日〉- 1107年8月9日〈嘉承2年7月19日〉)は、日本の第73代天皇(在位:1087年1月3日〈応徳3年11月26日〉- 1107年8月9日〈嘉承2年7月19日〉)。諱は善仁(たるひと)。
白河天皇の第三皇子。母は藤原師実の養女で白河中宮の賢子。准母は同母姉の媞子内親王(郁芳門院)。
堀河天皇は「末代の賢王」と評される賢帝として知られた。関白師通との提携による朝政にも熱心に取り組み、「天が下治まりて、民安く世のどかなり」といわれた。しかし白河院の政務への関与が再び強まると、天皇の興味は趣味の世界に移っていった。叔母にあたる中宮・篤子内親王の薫陶を受け、学問・和歌・管弦に才能を発揮して廷臣らに慕われたが、生来病弱で、在位のまま宝算29で崩御。臨終の様子は乳母の藤原兼子の妹で典侍の藤原長子の『讃岐典侍日記』に詳しい。
堀河天皇 – Wikipedia
行幸(ぎょうこう、みゆき)とは、天皇が居所から外出することである。目的地が複数ある場合は特に巡幸という。
行幸 – Wikipedia
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。かつては日吉社(ひえしゃ)と呼ばれていた。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。境内大宮橋は日本百名橋に選定されている。
全国に約3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿が神使で神猿(まさる)とする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定されている。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている[1]。鳥居は、その上部に比叡山延暦寺を示す山形をのせる独自の形式で「山王鳥居」(合掌鳥居、総合鳥居)と呼ばれる[2]。
日吉大社 – Wikipedia
関連リンク
■堀河天皇 – Wikipedia
■日吉大社
その他の今日の出来事
1996年-大津市の人口28万人に
1981年-富士見市民センターが竣工する
1875年-陸軍歩兵第九連隊が大津営所に移転駐屯する
1371年-延暦寺三塔の衆徒が、仰木庄の青蓮院から妙法院への還付を訴える
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