2009年4月1日(平成21年)
大津市が中核市に移行
大津市が『中核市』になった日。
人口が20万人以上(2009年当時は30万人以上)いると中核市になれるようです。
中核市になると、保健所を設置できるようになったりと、市の権限が増えるみたい。
日本に中核市は62市あり、人口の約18%が中核市の住民となっています。
中核市(ちゅうかくし)とは、日本の地方公共団体のうち、地方自治法第252条の22第1項に定める政令による指定を受けた市。中核市の指定と同時に保健所政令市としての指定も受ける。政令指定都市と並ぶ都道府県の事務権限の一部を移譲する日本の大都市制度の一つであり、現在の指定要件は、「法定人口が20万人以上」となっている。
中核市 – Wikipediaより
中核市より権限が増える『政令指定都市』になるには人口が50万人以上必要。
2024年3月現在、大津市の人口は約34.3万人。
大津市エリアが政令指定都市になるには、大津市と隣接している草津市(約13.9万人)と、あとひとつの自治体(守山市 約8.5万人・栗東市 約6.7万人・高島市 約4.6万人)と合併すれば、人口50万人を突破します。
大津市+守山市+栗東市+高島市でも50万人以上に。
そのほかの今日の出来事
2014年-大津市立瀬田南幼稚園・瀬田南保育園一体化施設「みなみっこひろば」開園
2014年-観光プロデューサー着任
2012年-市営葬儀事業を廃止し規格葬儀を創設
2011年-大津祭曳山展示館リニューアルオープン
2010年-北消防署志賀分署移転・開署
2010年-企業局お客様センター開設
2010年-家庭的保育事業の家庭的保育室開所
2005年-京阪石山駅が西へ168m移設され、相対式ホームから島式ホームとなる
2005年-石山駅前広場デッキがオープン
2005年-重度障害者の通所療育施設「すみれはうすさかもと」が開設
2003年-市民病院に「ERおおつ」を開設
2001年-特例市へ移行
1998年-青山中学校が開校
1998年-ペットボトル分別回収はじまる
1997年-膳所駅前の公営駐車場オープン
1997年-消防緊急通信指令システムが稼働
1997年-仰木の里市民センターが業務開始
1994年-特別養護老人ホーム「榛原の里」オープン
1994年-真野北市民センター業務開始
1992年-青山幼稚園、小学校が開園校
1990年-大阪・鶴見緑地で「花の万博」が開幕、大津市もフォリーを出展
1988年-ごみの新収集体系がスタート
1986年-見世2丁目に芙蓉共同作業所が開設される
1986年-東消防署の開所式
1986年-大江4丁目に大津市東消防署が開署
1986年-一里山5丁目に、今日も一日がんばった本舗・共同作業所が開設
1985年-日吉大会館が、日吉台市民センターとして業務を開始
1985年-大津市が助役2人制となる
1984年-藤尾市民運動広場(市内で6番目)が竣工
1984年-大津市教育委員会に博物館建設準備室が設置される
1984年-大津市でレントゲン検診車「けんこう号」を購入する
1984年-県立北大津高校が仰木町に開校する
1983年-唐崎・南郷・富士見支所がオープン
1983年-大津市水防協議会条例が施工される
1983年-瀬田北中学校が新設される
1982年-日吉台小学校が新設される
1982年-大津市同和教育基本方針及び大津市学校同和教育指導要綱が改訂される
1982年-大津市開発事業指導要綱が施行される
1982年-大津市でかん・びん分別収集が本格実施される
1982年-大石曾束町に曾束緑地が開設される
1982年-市立北大路中学校が開設される
1980年-瀬田南大萱町に県埋蔵文化財センターが竣工する
1980年-瀬田東小学校が新設される
1980年-志賀町立小野小学校開校
1979年-比叡平小学校が新設される
1979年-南郷小学校が新設される
1979年-共同作業所・瑞穂が園山2丁目に開所する
1977年-大津市の心身障碍児母子通園事業として、やまびこ教室が開設される
1977年-大石淀町・大石中町に大石緑地が開設される
1977年-自衛隊大津駐屯地基本訓練場跡地に市立唐崎中学校が開設される
1976年-大津市北部学校給食共同調理場が真野町に開設
1976年-市立瀬田南小学校が新設される
1976年-坂本教育集会所が竣工する
1975年-消防体制の強化充実をはかるため、瀬田出張所(s42年-4年-1設置)、堅田出張所(s42年-7年-25)を、各々南署・北署に昇格させる
1975年-自衛隊大津駐屯地飛行場跡地内に唐崎小学校・唐崎幼稚園・唐崎保育園が開校・開園する
1975年-国鉄大津駅の新駅舎が完成する
1975年-県立東大津高校がにおの浜の仮校舎に開設される(翌年4月瀬田南大萱町に移転)
1975年-仰木会館(市民センター)が完成する
1975年-葛川中学校・伊香立中学校が新設される
1974年-島の関・膳所・晴嵐湖岸緑地が開設される
1973年-大津市初の消防艇「おおつ」が完成する
1973年-住宅地開発にともなう児童数の急増により、富士見小学校が新設される
1973年-志賀町立比良保育園
1973年-市の地域総合センター・稲津会館が竣工する
1972年-鶴の里にびわ湖放送が開局する
1972年-地域における重度心身障害者の社会参加の場として、大石富川町に青雲舎が開かれる
1972年-大津市の地域総合センターとして、下龍華会館が竣工する
1970年-大津東工業高校が瀬田高校と改称する
1970年-大津市の皇子が丘グラウンドが竣工する
1969年-南郷1丁目に南郷公園が開設される
1969年-大津市下水道の終末処理場(由美浜)が操業を開始する
1969年-市の地域総合センターとして昭和会館が竣工する
1968年-大石中町に佐久奈度公園が開設される
1967年-大津市の勤労青少年ホームが打出浜に開設される
1967年-大津市と瀬田町・堅田町が合併する
1964年-石山高校が石山国分町の新校舎に移転する
1963年-重度心身障害児医療施設の社会福祉法人第一びわこ学園が開設される
1963年-県立石山高等学校が滋賀大学学芸学部の旧校舎(西の庄)を仮校舎にして開校する
1961年-私立大津家庭高等学校が滋賀女子高等学校と改称する。
1958年-県立大津商業高等学校が設置され、滋賀大学学芸学部の一部を仮校舎とする
1956年-大津東高校を膳所高校に、大津西高校を大津高校に改称する
1956年-瀬田高校を瀬田工業高校と改称する
1955年-瀬田町と上田上村が合併する
1955年-堅田町と真野村、伊香立村、仰木村、葛川村が合併する
1955年-堅田高等学校が全日制となる
1954年-志賀町立和邇保育園
1952年-大津高校が大津東・大津西の2校に分離
1952年-市立南郷中学校が新設される
1951年-琵琶湖汽船の遊覧船玻璃丸が就航する
1951年-大津市と雄琴・坂本・下坂本・大石・下田上の5村が合併する
1949年-膳所・大津・志賀高校が統合されて大津高校と改称。旧膳所校を東校舎、旧大津校を西校舎とする
1948年-天台宗比叡山中学校が男女共学の比叡山高等学校に、滋賀高等女子実業学校が大津家庭高等学校と改称する
1948年-新制高等学校が発足する
1948年-県立膳所・大津・志賀高等学校が旧膳所中学・旧県立大津高女・旧大津商業を校舎として開校。また、瀬田高等学校が旧瀬田工業学校を校舎に開校する
1943年-大津市が常設消防隊を設置する
1942年-大津海軍航空隊が発足し、水上飛行機の操縦教育を行なう
1942年-私立滋賀県看護婦学校が、大津医師会により丸屋町に設立される
1942年-私立近江看護婦産婆学校が下百石町に開設される
1941年-大津連隊区司令部の開庁式が挙行される
1939年-大津・東・西・南・膳所の5青年学校が合併して大津商工青年学校となり、大津青年学校女子部が大津女子青年学校と改称する
1939年-瀬田工業学校が瀬田町神領に開校し、機械科と電気科をおく
1933年-大津市・膳所町・石山町が合併し「大大津市」が実現する
1927年-江若鉄道の雄松(後の近江舞子)~北小松間が開業
1924年-江若鉄道の堅田~和邇間が開業
1923年-江若鉄道の叡山~雄琴間が開業
1923年-江若鉄道の叡山―雄琴間が開通する
1922年-大津市職業紹介所が金塚町に開設される(大正12年8月、上栄町に移転)
1920年-市立大津商業学校が県立に移管される
1908年-滋賀県立第二中学校が県立膳所中学校と改称する
1908年-師範学校女子部が独立して、滋賀県女子師範学校と改称する
1903年-東海道線の石山駅が開業する
1902年-滋賀県師範学校に女子部を再設し、仮校舎を上堅田町におく。また、市立大津高等女学校を県立に移管して、同校に併置する
1898年-滋賀県立第二尋常中学校(現、膳所高校)が膳所村錦に設置される(明治34年、旧膳所藩校遵義堂跡の新校舎に移る)
1890年-県立大津病院が廃止され、町立大津病院となる
1889年-町村制施行にともない町村合併が大規模に行なわれ、大津町、葛川村、伊香立村、真野村、堅田村、仰木村、雄琴村、坂本村、下阪本村、滋賀村、膳所村、石山村、大石村、下田上村、上田上村、瀬田村となる
1880年-滋賀県大津師範学校に付属所学科(のち女子師範学科)を設け女子教員の養成を始める
1868年-日吉社で神官らにより実力で神仏分離が強行され、本地仏や仏具などが焼かれる
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