5月3日【今日は何の日?】1558年 室町幕府第13代将軍の足利義輝が和邇から下坂本の本誓寺に移る

    過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。

    足利義輝像(by 土佐光吉)1577年 PD

    1558年5月3日(永禄元年)
    将軍足利義輝が和邇から下坂本の本誓寺(廃寺、旧石川町付近か)に移る 『言継卿記』

    室町幕府第13代将軍の足利義輝が、和邇から下阪本の本誓寺(現在は廃寺)に移った日。

    三好氏への再戦
    弘治4年(永禄元年、1558年)2月、朝廷は正親町天皇の即位のため、年号を永禄に改元した。だが、京から離れた朽木にいた義輝は改元を知らされておらず、それまで古い年号の弘治を使用し続けることとなったため、朝廷に抗議している。改元は戦国時代といえど、朝廷と室町幕府の協議の上で行われてきたが、朝廷は義輝に相談せず、三好長慶にのみ相談して改元を実施していた。

    3月13日、義輝は改元の一件もあって、三好政権打倒のため、朽木で挙兵した。義輝は朽木で挙兵したのち、龍花に向かい、4月には和邇に移った。

    5月3日、義輝は六角義賢(承禎)の支援で晴元とともに坂本に移り、本誓寺に入って、京の様子を窺った。

    足利義輝 – Wikipedia

    足利義輝が移った先の本誓寺は、旧石川町(下阪本1丁目)付近にあったと考えられているようです。石川町の名前は江若交通のバス停「石川町」(浜大津線)や県道558号線の交差点「石川町交差点」として残っています。

    中央上に石川町
    『山門三塔坂本惣絵図』 (第1鋪)の一部 (作者不詳)1767年 PD

    比叡山延暦寺の境内と坂本地区を描いた江戸時代中期の古地図「山門三塔坂本惣絵図」にある石川町。周辺に本誓寺はないので、江戸時代中期にはすでに廃寺となっていたようです。

    関連リンク
    【刀剣ワールド】足利義輝の歴史 – 戦国武将一覧
    足利義輝 – Wikipedia
    言継卿記 – Wikipedia
    運行経路図 | 江若交通株式会社(江若バス)
    山門三塔坂本惣絵図 – Wikipedia
    1558年 – Wikipedia

    そのほかの今日の出来事
    1947年-大津公民館が橋本町の市公会堂を改装して開館する
    1941年-大津連隊区司令部の新庁舎が三井寺下に完成し、落成式が県公会堂前庭で挙行される
    1880年-仰木村上仰木に火災が起こり、住居46戸、小家26軒を焼く(全戸数の約四分の一の被害)
    1868年-大津県庁が元大津裁判所跡に開庁する
    1651年-膳所城主本多俊次が領内の村々に二九カ条からなる定書を出す
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