過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
1181年5月7日(治承5年)
園城寺の僧日恵が鎌倉に下り、源頼朝にその師日胤の遺命を伝える 『吾妻鏡』
鎌倉で園城寺の僧・日恵が源頼朝に師・日胤の遺命を伝えた日。
日胤(にちいん、生年未詳 – 治承4年5月26日(1180年6月20日))は、平安時代後期に活躍した天台宗の僧。園城寺に属し、号は律静房(律上房)。父は千葉常胤。
『吾妻鏡』によれば、源頼朝の祈祷僧と伝えられている。頼朝の依頼により石清水八幡宮にて千日参籠して大般若経を無言転読する行を行っていたが、以仁王が園城寺に入ったことを知るとこれに従って平家と戦い、奈良の光明山鳥居での戦いで戦死した。頼朝の依頼は弟子の日恵が残りの分を果たして、翌年5月に頼朝に報告している。『平家物語』では日胤の死を知った頼朝が伊賀国山田郷を園城寺へ寄進したとされ、また『千葉大系図』には父・常胤が日胤の供養のために下総国印旛郡に円城寺を創建したとされている。千葉氏の一族が日胤の名跡を継いで円城寺氏と称したとされ、同氏の名前が千葉氏の家臣としてみられる。
日胤 (園城寺) – Wikipedia
源 頼朝(みなもと の よりとも、旧字体: 源 賴朝)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の武将、政治家。鎌倉幕府初代征夷大将軍(鎌倉殿)。
寺社権門対応
鎌倉幕府は当時絶大な宗教的権威と強固な経済力、金融運営力、武力、生産技術力を有していた有力寺社権門に対しては積極的に関わろうとはしなかったが、 比叡山延暦寺と園城寺や石清水八幡宮が争った場合は園城寺や石清水を贔屓し、興福寺と東大寺が争った場合は東大寺を贔屓した。
源頼朝 – Wikipedia
関連リンク
■三井寺(天台寺門宗総本山園城寺)
■鎌倉市観光協会 | 時を楽しむ、旅がある。~鎌倉観光公式ガイド~ トップページ
■日胤 (園城寺) – Wikipedia
■源頼朝 – Wikipedia
■吾妻鏡 – Wikipedia
■1181年 – Wikipedia
そのほかの今日の出来事
1978年-藤尾市民センターが竣工する
1868年-洪水を避けて、大津県令長谷信篤が船頭町の小野宗九郎宅に移る
840年-淳和上皇の死に際して逢坂関の固関が行なわれる
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