過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
1865年閏5月14日(慶応元年)
儒学者で膳所藩尊攘派の指導者の川瀬太宰が京都町奉行所に逮捕される 『七年史』
江戸幕府第14代将軍徳川家茂の3度目の上洛中における暗殺計画の疑いにより、膳所藩の尊王攘夷派(倒幕派)の指導者だった川瀬太宰(かわせだざい)が逮捕された日。
潜伏先の京都から山中越(白川越)で近江へ逃れようとしているときに、警備中の京都町奉行所の与力たちに逮捕されました(『七年史』より)。新選組に捕まったという話もあるみたい。
大津市尾花川にあった川瀬太宰の屋敷は含秀軒と呼ばれ、尊王攘夷派の志士たちの集会所・潜伏場所だったそう。現在は「川瀬太宰先生邸宅趾」の石碑が残っています。
川瀬太宰の逮捕後、膳所藩では尊王攘夷派の11人(膳所藩十一烈士)が処刑されるなど、尊王攘夷派への弾圧が続きました。
膳所藩(ぜぜはん)
幕末期、最後の藩主である本多康穣の代に、藩内では尊王攘夷派と佐幕派が藩の主導権をめぐって争った。将軍・徳川家茂の膳所宿泊予定が中止になるほどであったが、藩内部でやがて佐幕派が力を盛り返し、阿閉権之丞ら尊王派11名を処刑した。また尊王派の先鋒の川瀬太宰も幕吏新撰組に捕えられ殺される。川瀬太宰は筆頭家老戸田資慶の叔父でもあった。その後、その川瀬が藩主にも説いた尊王論が盛り返し、明治元年(1868年)の戊辰戦争では新政府側に与して桑名藩攻めに出兵した。
膳所藩 – Wikipedia
大津市園城寺町にある三尾神社には、川瀬太宰と妻の幸の、勤王の志をたたえた石碑「双烈連芳の碑」(明治20年建立)があります。
直木賞を受賞(&辞退)した山本周五郎の小説「日本婦道記」には、川瀬太宰と幸を題材にした「尾花川」が収録されています。
山本 周五郎(やまもと しゅうごろう、1903年(明治36年)6月22日 – 1967年(昭和42年)2月14日)は、日本の小説家。
1943年(昭和18年)、第17回直木賞に『日本婦道記』が選ばれるが辞退。直木賞史上、授賞決定後としては唯一の辞退者となった。辞退の理由として、完全な仕事を目指した初版『小説 日本婦道記』出版の前であったこと、改稿以前の『婦人倶楽部』版が受賞対象になったことなどが挙げられる。また、『主婦之友』の「日本名婦伝」の著者で、選考委員だった吉川英治の選評への反発の可能性も指摘されている。
山本周五郎 – Wikipedia
「尾花川」は青空文庫で読めます。
LINK:山本周五郎 日本婦道記 尾花川
余談ですが、川瀬太宰のおいっこの孫は、第79代内閣総理大臣細川護熙さんの配偶者の細川佳代子さんにあたるそうです。
関連リンク
■大津のかんきょう宝箱 川瀬太宰宅跡碑(尾花川)
■山本周五郎 『日本婦道記』 | 新潮社
■1865年 – Wikipedia
その他の今日の出来事
1988年-JR大津駅前の時計塔が完成
1988年-堅田なぎさ苑の運動場が完成
1984年-南郷幼稚園が竣工
1941年-財団法人海軍予備航空団大津支部が施設・物件を海軍に献納し、解団式が行なわれる
1865年閏-膳所藩で尊攘派藩士のいっせい検挙が始まる
887年-瀬田韓(唐)橋に初めて橋守二人を置く
866年-園城寺が天台別院となる
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