過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
1645年5月21日(正保2年)
比叡山と東叡山(江戸寛永寺)に天海の御影堂を造営するため、幕府が仏具料五〇石を寄進する 『徳川実記』
1643年に108歳で没したとされる天海(慈眼大師)の御影堂(姿を写した像や絵を安置する建物)のため、江戸幕府が仏具料を寄進した日。
翌年、大津市坂本4丁目の天海の廟所「慈眼堂」が建立しています(2016年に重要文化財(建造物)指定)。慈眼堂では、木造慈眼大師坐像(1900年に重要文化財指定)が祀られていました。木造慈眼大師坐像は、現在は延暦寺の国宝殿に移されているみたいです。
慈眼堂(じげんどう)は、滋賀県大津市坂本にある天海(慈眼大師)の廟所。恵日院の境内にある。
歴史
慶長12年(1607年)から比叡山南光坊に住み、織田信長の比叡山焼き討ち後の延暦寺の復興に尽力した天海の廟所である。江戸時代初期の禅宗様を基本とする仏堂で、正保3年(1646年)に建立された。正面三間、側面三間、一重、宝形造、桟瓦葺の建物である。建物は国の重要文化財に指定されている。
堂内には木造慈眼大師坐像(重要文化財)が祀られていた(現在は延暦寺国宝殿にある)。境内には天海によって高島市から当地に移された鵜川四十八体石仏群のうちの13体の阿弥陀如来坐像のほか、歴代天台座主の墓、桓武天皇の御骨塔などがある。
慈眼堂 (大津市) – Wikipedia
関連リンク
■慈眼堂 | 滋賀県観光情報
■延暦寺慈眼堂|滋賀県ホームページ
■寛永寺 – Wikipedia
■1645年 – Wikipedia
その他の今日の出来事
1884年-大津商工会議所が設立され、この日第一回総会を開いて、高谷光雄を初代会頭に選ぶ
1865年閏-将軍徳川家茂の上洛にあたり、膳所城での宿泊予定が中止され、大津宿泊りとなる
1671年-石居村の下村勘五郎が石居村の由来を記した文書をつくる
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