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    5月23日【今日は何の日?】孝謙上皇と淳仁天皇が対立し「保良宮」を出て平城京に戻る

    過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。

    伝保良宮礎石(by Saigen Jiro)2019年 PD

    762年5月23日(天平宝寺6年)
    孝謙上皇が淳仁天皇と対立し、保良宮を出て平城京に戻る 続日本記

    孝謙上皇(第46代天皇)と淳仁天皇(第47代天皇)が対立し、共に「保良宮(ほらのみや)」を出て平城京に戻った日。その結果、淳仁天皇の都として造営途中だった「保良宮」は廃止になったみたいです。

    保良宮」があった場所は大津市国分あたりが有力だそう。他の候補地は須賀神社(長浜)、玉桂寺(信楽)、兵主神社(野洲)あたりとのこと。

    保良宮(ほらのみや)は、奈良時代近江国滋賀県)に淳仁天皇が営んだで、平城京の北の都「北京」(ほくきょう)とされた。保良京保良離宮とも呼ばれた。また、天智天皇大津宮に近かったことから、大津宮と記した古文書もある。

    琵琶湖から流れ出す瀬田川右岸に位置し、滋賀県大津市の石山国分遺跡の周辺に比定する説が有力。ここからは築地塀の跡や平城京と共通の天平宝字年間前後の瓦が出土しており関連した施設の跡であると考えられる。周辺には石山寺や近江国分寺、瀬田川対岸には近江国庁があり環境も整っており、国分2丁目には「へそ石」とよばれる保良宮の礎石の一つと伝えられている石が残っている。さらに関津遺跡の幅18メートルの道路跡も関連する遺跡であると考えられる。

    保良宮 – Wikipedia

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