過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
1851年6月4日(嘉永4年)
京都の陶工・永楽保全が大津鍵屋町に移住し、冬頃より作陶を始める 『長等の桜』
京焼の陶工の永樂保全が圓満院の後援を受け、大津の鍵屋町(長等2~3丁目あたり)へ引っ越してきた日。
永樂 保全(えいらく ほぜん、1795年(寛政7年) – 1854年11月8日(嘉永7年9月18日))は、19世紀に活躍した京焼の陶芸家。 千家十職の一つ、土風炉師・善五郎の十一代である。
1827年には紀州藩十代藩主徳川治寶の西浜御殿の御庭焼開窯に招かれ、作品を賞して「河濱支流(かひんしりゅう)」の金印と「永樂」の銀印を拝領した。これが永樂姓の由来である。
長年京都で活動し、その後大津や摂津高槻など京都を離れた地域でも積極的に陶作を行なった。一説には息子の和全と不仲だったのも京都を離れた理由の一つだという。
永樂保全 – Wikipedia
永樂保全は大津へ移住後、「湖南焼」(長等山焼・三井御浜焼)と言われる焼き物をつくっていたそうです。
湖南焼(こなんやき)は1851年(嘉永4年)-1854年(嘉永7年)の間に、滋賀県大津市長等山下、札之辻、または園城寺下鹿関町地域で作られた陶磁器である。落款印には「永樂」、「河濱支流」、「三井御濱」の押捺を持ち、永樂保全が最後に築いた窯として近世陶磁史に名を残す。
又、窯跡は未だ不明のままである。地域住宅の変貌および京都に通じる疏水路工事による地相変化の為、現在では窯跡の発見は不可能と云う説が有力である。
湖南焼 – Wikipedia
甲賀市信楽町の「滋賀県立陶芸の森」には、永樂保全の湖南焼が9点収蔵されているみたい。収蔵品データベースには作品名のほか、写真も掲載されています。
LINK:作者・窯名で探す | 滋賀県立陶芸の森 収蔵品データベース(湖南焼(永樂保全))
関連リンク
■滋賀県立陶芸の森:やきものの里、信楽(しがらき)にある芸術と美しい自然に囲まれた森
■大本山 圓満院 | 滋賀・琵琶湖にほど近い皇室とゆかりのある門跡寺院
■1851年 – Wikipedia
その他の今日の出来事
1985年-田上山砂防協会が建設大臣表彰を受ける
1914年-大津電車軌道の螢谷(廃止)~石山(現・石山寺)間が開業
1875年-滋賀県が出火規則・火防規則を定め、大津町に消防組を設置する
1868年-大津県庁を寺内南町顕証寺(近松別院)に移す
1583年-羽柴秀吉が磯谷彦四郎の山中還住を許し、その支配を認める
1582年-明智光秀の安土攻めに際し、瀬田城主の山岡景隆はその勧誘を拒否して瀬田橋を焼き落とす
822年-最澄が比叡山の中道院で没する
コメント