6月6日【今日は何の日?】1353年 南朝軍の進行を避けて後光厳天皇が延暦寺に行幸する

    過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。

    1353年6月6日(文和2年)
    南朝軍の進行を避けて後光厳天皇が延暦寺に行幸する。ついで、足利義詮とともに坂本に移る 『園太暦』

    南朝軍の進行を避けて後光厳天皇が延暦寺に行幸した日。9日には足利義詮とともに坂本に入ったそうです。

    南朝軍の京都進行により、1352年、1353年、1355年、1361年と4回続いた幕府の都落ちの2回目。この時は坂本から北上し、垂井(岐阜県)まで落ち延びたそうです。道中、和邇~堅田あたりで南朝軍派の土豪たちに襲われ、佐々木道誉の子、佐々木秀綱が真野で討ち死にしたみたい。

    佐々木 秀綱(ささき ひでつな)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将守護大名室町幕府侍所頭人、上総国守護

    正平8年/文和2年(1353年)6月13日、侍所頭人を務めており、南朝に京を追われ東近江へと逃れる後光厳天皇、足利義詮らを守っていた際に、堅田近くの真野浦にて、新田氏の残党である堀口貞祐に襲われ、戦いの末に討たれた。

    佐々木秀綱 – Wikipedia

    佐々木秀綱を討ち取った堀口貞祐は、新田義貞に従って数々の武勇を立てた堀口貞満の子。その後今堅田に住みつき、今堅田城を築城し、真宗大谷派「泉福寺」の住職をつとめたそうです。

    この記事が気に入ったら
    いいね または フォローしてね!

    コメント

    コメントする

    目次