過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
1877年6月19日(明治10年)
弘文天皇(大友皇子)陵として、第九連隊兵営内の長等山前陵が定められる 『明治天皇紀』
御陵町の「園城寺亀丘古墳」が第39代天皇の弘文天皇陵であると定められ、「長等山前陵」と命名された日。
弘文天皇陵や大津市役所あたりの地名「御陵町」(1960年に園城寺町と山上町の一部から新設)は、この弘文天皇陵に由来してつけられた地名のようです。
大津市役所の山手にある弘文天皇陵弘文天皇(こうぶんてんのう、旧字体: 弘文󠄁天皇、648年〈大化4年〉- 672年8月21日〈天武天皇元年7月23日〉)は、日本の第39代天皇(在位:672年1月9日〈天智天皇10年12月5日〉- 672年8月21日〈天武天皇元年7月23日〉)。
諱は大友(おおとも)または伊賀(いが)であるが、大友の名の由来は大友村主が養育したためであると考えられる。1870年(明治3年)に漢風諡号弘文天皇を贈られ、歴代天皇に列せられたが、実際に大王に即位したかどうか定かではなく、大友皇子と表記されることも多い。
概要
天智天皇の第一皇子。母は伊賀采女宅子娘(いがのうねめ・やかこのいらつめ)。天智後継者として統治したが、壬申の乱において叔父の大海人皇子(後の天武天皇)に敗北し、首を吊って自害する。
陵(みささぎ)は、滋賀県大津市御陵町にある長等山前陵(ながらのやまさきのみささぎ)に治定されている。公式形式は円丘。考古学名は園城寺亀丘古墳。
これとは別に、下記のように弘文天皇の御陵とされる墳墓が複数伝わっている。
弘文天皇 – Wikipedia
- 白山神社古墳 – 千葉県君津市俵田
- 伝弘文天皇陵 – 神奈川県伊勢原市日向
- 小針1号墳 – 愛知県岡崎市小針町
- 大友皇子御陵 – 愛知県岡崎市東大友町
- 自害峯の三本杉 – 岐阜県不破郡関ケ原町藤下
- 鳴塚古墳 – 三重県伊賀市鳳凰寺
- 膳所茶臼山古墳 – 滋賀県大津市秋葉台
- 皇子山古墳 – 滋賀県大津市皇子山
弘文天皇が崩御されたとされる8月24日(太陽暦)には、近江神宮で「弘文天皇祭」が行われています。
LINK:主な祭典|近江神宮
関連リンク
■弘文天皇陵 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!
■-天皇陵-弘文天皇 長等山前陵(こうぶんてんのう ながらのやまさきのみささぎ)(宮内庁HP)
■弘文天皇陵|歴史事典|大津市歴史博物館
■1877年 – Wikipedia
その他の今日の出来事
1943年-滋賀県立図書館が三井寺下の元県物産陳列場を改造して開館する
1937年-石山ゴルフ場が大平山に一部開場する
1827年-霊仙正福寺(音羽台)に常設能舞台がつくられる
1405年-足利義満が葛川明王院に参籠して、参籠札を奉納する
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