過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
志賀町章。小さい画像を拡大したのでちょっとぼやけてます
2006年3月20日(平成18年)
大津市と滋賀郡志賀町が合併
大津市と志賀町が合併した日。
志賀町(しがちょう)は、かつて滋賀県滋賀郡におかれていた町。
1955年(昭和30年)10月1日 - 和邇村・木戸村・小松村が合併して発足。
1956年(昭和31年)9月30日 - 大字鵜川が高島郡高島町に編入。
2006年(平成18年)3月20日 - 大津市に編入。同日志賀町廃止。
1967年に堅田町が大津市に編入し、滋賀郡の最後の町となっていた志賀町が廃止されたため、「滋賀郡」もなくなっています。
滋賀郡(しがぐん)は、滋賀県(近江国)にあった郡。
明治31年(1898年)
4月1日 - 郡制を施行。
10月1日 - 大津町が市制施行して大津市となり、郡より離脱。昭和7年(1932年)5月10日 - 滋賀村が大津市に編入。(3町10村)
昭和8年(1933年)4月1日 - 膳所町・石山町が大津市と合併し、改めて大津市が発足。(1町10村)
昭和26年(1951年)4月1日 - 坂本村・雄琴村・下阪本村が大津市に編入。(1町7村)
昭和30年(1955年)
4月1日 - 仰木村・堅田町・真野村・伊香立村・葛川村が合併し、改めて堅田町が発足。(1町3村)
10月1日 - 和邇村・木戸村・小松村が合併して志賀町が発足。(2町)
昭和31年(1956年)9月30日 - 志賀町の一部(鵜川)が高島郡高島町に編入。
昭和42年(1967年)4月1日 - 堅田町が大津市に編入。(1町)
平成18年(2006年)3月20日 - 志賀町が大津市に編入。同日滋賀郡消滅。
志賀町役場だったところは現在、大津市の木戸市民センターとして使われています。
志賀町章は当時の志賀中学校の先生がデザインし、1962年3月に制定されたものだそう。
Shigaの頭文字S、全体は力を示し、円形は円満、上に突き出ているのは比良山、円内の空間は琵琶湖を表し、山紫水明、雄大にして大きく伸び行く志賀を象徴しているそうです。
志賀町の町の木はマツ。町内の山林でもっともよく見られる木。
町の花はシャクナゲ。滋賀県の花と同じ。初夏の比良山を彩るピンクのホンシャクナゲ。
町の鳥はセグロセキレイだったみたいです。1975年11月18日制定。
関連リンク
■志賀町(国立国会図書館が保存した2006年3月15日時点のページ)
■市域百年の変遷│大津市ホームページ
■2006年 - Wikipedia
その他の今日の出来事
2010年-湖の駅 浜大津オープン
2008年-瀬田川リバークルーズ「瀬田川新港」が新たに開港
2006年-木戸市民センターが開所
2004年-科学館プラネタリウムリニューアルオープン
1999年-地域振興券を交付
1985年-なぎさ公園計画のモデルケースとして、膳所城跡公園の護岸工事が完了する
1961年-琵琶湖文化館が、上平蔵町地先の埋め立て地に建設され、開館する
1941年-大政翼賛会大津市支部の結成式が市役所議場で行なわれる
1928年-京阪自動車が、京都三条-浜大津間のバス営業を開始する
1570年-これより先、織田信長の家臣森可成が宇佐山城(錦織町)を築き、今道(山中越)・逢坂の2道をふさいで、山中から新城に通じる新路を開く
1393年-八幡神社(大石龍門町)の社殿の屋根葺き替えに際し、龍門庄民が寄金をよせる
1300年-小椋神社(仰木)の石造瑞垣がつくられる
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