6月11日【今日は何の日?】822年 比叡山寺に大乗戒壇設立の勅許が嵯峨天皇によって下される




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    過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。

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    延暦寺の根本中堂

    822年6月11日(弘仁13年)
    比叡山寺に大乗戒壇設立の勅許が嵯峨天皇によって下される 『叡山大師伝』

     比叡山寺(現在の延暦寺)に嵯峨天皇から大乗戒壇設立の勅許が下された日。

    大乗戒壇の設立

     延暦25年(806年)、日本天台宗の開宗が正式に許可されるが、仏教者としての最澄が生涯かけて果たせなかった念願は、比叡山に大乗戒壇を設立することであった。大乗戒壇を設立するとは、すなわち、奈良の旧仏教から完全に独立して、延暦寺において独自に僧を養成することができるようにしようということである。

     最澄の説く天台の思想は「一向大乗」すなわち、すべての者が菩薩であり、成仏悟りを開く)することができるというもので、奈良の旧仏教の思想とは相容れなかった。当時の日本では僧の地位は国家資格であり、国家公認の僧となるための儀式を行う「戒壇」は日本に3箇所(奈良・東大寺、筑紫・観世音寺下野・薬師寺)しか存在しなかったため、天台宗が独自に僧の養成をすることはできなかったのである。最澄は自らの仏教理念を示した『山家学生式』(さんげがくしょうしき)の中で、比叡山で得度(出家)した者は12年間山を下りずに籠山修行に専念させ、修行の終わった者はその適性に応じて、比叡山で後進の指導に当たらせ、あるいは日本各地で仏教界のリーダーとして活動させたいと主張した。

     だが、最澄の主張は、奈良の旧仏教(南都)から非常に激しい反発を受けた。南都からの反発に対し、最澄は『顕戒論』により反論し、各地で活動しながら大乗戒壇設立を訴え続けた

    大乗戒壇の設立は、822年、最澄の死後7日目にしてようやく許可され、このことが重要なきっかけとなって、後に、延暦寺は日本仏教の中心的地位に就くこととなる823年、比叡山寺は「延暦寺」の勅額を授かった。延暦寺は徐々に仏教教学における権威となり、南都に対するものとして、北嶺と呼ばれることとなった。なお、最澄の死後、義信が最初の天台座主になった

    延暦寺 - Wikipediaより

     延暦寺の国宝「根本中堂」は2016年から、約10年かけての大改修が行なわれるようです。
    LINK:国宝根本中堂大改修 | 天台宗 祖師先徳鑽仰大法会

    関連リンク
    天台宗総本山 比叡山延暦寺 [Hieizan Enryakuji]
    822年 - Wikipedia

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