過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
下阪本3丁目にある坂本城址
1582年9月16日(天正10年)
吉田兼見が再建工事中の坂本城で丹羽長秀に会う 『兼見卿記』
1582年6月2日にあった『本能寺の変』のあと、6月15日に羽柴秀吉軍に攻められ焼亡した坂本城。
その後の『清州会議』により、丹羽長秀が坂本城主になり、再建が始まったそうです。
元亀2年(1571年)9月比叡山焼き討ちの後、宇佐山城の城主であった明智光秀に対して、織田信長は滋賀郡の支配を命じ坂本城を築城させた。比叡山延暦寺の監視と琵琶湖の制海権の獲得が目的であったと思われている。
(中略)羽柴秀吉軍が城を囲む中、明智秀満自身が天守に火を放ち光秀の妻子もろとも落城した。
その後、羽柴秀吉が丹羽長秀に再建を命じ城主となった。その後賤ヶ岳の戦いの軍事上の基地として使用され、後に杉原家次そして浅野長政が城主となった。この時に城下町が形成されたと思われている。
しかし1586年(天正14年)秀吉の命を受けた浅野長政が大津城を築城し居城を移したことにより廃城になり、資材は大津城築城に使用された。築城から約15年後のことであった。
関連リンク
■坂本城跡 | 滋賀県観光情報
■1582年 - Wikipedia
その他の今日の出来事
1957年-日本道路公団の名神高速道路滋賀調査事務所(のち建設所)が大津市に開設される
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