過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
三井寺(園城寺)大門
1568年9月24日(永禄11年)
織田信長が足利義昭を迎えて三井寺(園城寺)に陣をはる 『年代記抄節』
京都へ上洛途中の織田信長が、室町幕府第15代将軍となる足利義昭を迎え、三井寺(園城寺)の光浄院に陣をはった日。
この後、信長の軍容を聞いた三好三人衆らが京都から退いたため、ほぼ戦わずして9月26日に入京したそうです。
三井寺のホームページでも紹介されています。
日にちがちょっと違うのは史料の違いなのかな。
三井寺ホームページの歴史散歩
LINK:三井寺>三井寺について>歴史散歩(戦国武将と三井寺)>その(1) 織田信長
永禄11年(1568年)9月、信長は他国侵攻の大義名分として将軍家嫡流の足利義昭を奉戴し、上洛を開始した。
これに対して抵抗した南近江の六角義賢・義治父子は織田軍の猛攻を受け、観音寺城が落城する(観音寺城の戦い)。
信長が上洛すると、三好長慶死後の内輪揉めにより崩壊しつつあった三好家勢力のうち、三好義継・松永久秀らは信長の実力を悟って臣従し、三好三人衆に属した他の勢力の多くは阿波国へ逃亡する。
唯一抵抗していた池田勝正も信長に降伏した。
足利義昭を第15代将軍に擁立した信長は、義昭から管領・斯波家の家督継承もしくは管領代・副将軍の地位などを勧められたが、足利家の桐紋と斯波家並の礼遇だけを賜り遠慮したとされる。
永禄11年(1568年)9月、北近江の浅井氏・南近江の六角氏などの支持も受けた上で、直接には織田信長軍と浅井長政軍に警護されて上洛を開始した。
途中、六角義賢の抵抗もあったが退け、父・義晴が幕府を構えていた桑実寺に遷座、そしてさらに進軍し無事京都に到着した。
これをみて、三好三人衆の勢力は京都から後退した。また、9月30日には病気を患っていた14代将軍・足利義栄も死去した(『公卿補任』)。
10月18日、朝廷から将軍宣下を受けて第15代将軍に就任した。同時に従四位下、参議・左近衛権中将にも昇叙・任官された。
関連リンク
■三井寺>三井寺について>歴史散歩
■三井寺(天台寺門宗総本山園城寺)
■1568年 - Wikipedia
その他の今日の出来事
1990年-朝日が丘保育園の遊戯棟が完成
1894年-堅田桟橋の新設とその運営の為の合資会社設立が県に請願される(翌年認可)
1570年-織田信長軍に追われた浅井・朝倉軍が、山門(延暦寺)の保護を受け、青山・壺笠山城(坂本本町)に立てこもる
1336年-光厳上皇が園城寺所管の逢坂関を安堵する
1150年-延暦寺の無動寺に尼僧が住んでいることが発覚し、追放される
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