過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
1690年4月6日(元禄3年)
松尾芭蕉が膳所の門人菅沼曲水に提供された国分山中の幻住庵に入る 『芭蕉書簡集』
松尾芭蕉が国分山の近津尾神社境内の幻住庵で住み始めた日。7月23日までの約4ヶ月ほど滞在し、この時期のことを「幻住庵記」に残しています。
「奥の細道」の旅を終えた翌年の元禄3年(1690年)3月頃から、膳所の義仲寺無名庵に滞在していた芭蕉が、門人の菅沼曲水の奨めで同年4月6日から7月23日の約4カ月間隠棲した小庵。ここで「奥の細道」に次いで著名で、「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ」の書き出しで知られる「幻住庵記」を著した。
元は曲水の伯父幻住老人(菅沼定知)の別荘で、没後放置されていたのを手直しして提供したものであり、近津尾神社の境内にある。「幻住庵」の名前の由来も幻住老人の名に由来する。芭蕉は当時の印象を「いとど神さび」と表現したが、その趣は21世紀の今も変わらず残っている。現在の建物は1991年9月に芭蕉没後300年記念事業「ふるさと吟遊芭蕉の里」の一環で復元したものであり、敷地内には幻住庵記に「たまたま心なる時は谷の清水を汲みてみづから炊ぐ」との記述があるように、芭蕉が自炊していた痕跡 ”とくとくの清水”が今も木立の中、水を湧き出している。
幻住庵 – Wikipediaより
現在の幻住庵は、1991年に建てられたものです。
1690年の松尾芭蕉は木曽塚(義仲寺)で年越し、その後ふるさとの伊賀上野(三重県伊賀市)へ。
3月に膳所に来て、4月1日に瀬田に泊まり石山寺を参詣。
幻住庵滞在中は京都へ行ったり唐崎明神に参詣など。
幻住庵を出たあとは、大津・木曽塚・堅田などで過ごし、
1691年の年越しは大津で迎えたそうです。
1694年に亡くなった松尾芭蕉のお墓は、義仲寺(大津市馬場1丁目)にあります。
LINK:義仲寺 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!
関連リンク
■幻住庵 | 滋賀県観光情報
■幻住庵記 全篇詳細解読 音声つき
■幻住庵の記表紙
■松尾芭蕉 – Wikipedia
■河合智月 – Wikipedia
■1690年 – Wikipedia
その他の今日の出来事
1998年-膳所すこやか相談所オープン(市内5番目)
1990年-仰木の里幼稚園・小学校竣工
1987年-春のライトアップ(~12日)で疏水、三井寺一帯の桜を夜間照明
1985年-県内初の夜間保育所(第2星の子保育園)の入園式
1947年-県立図書館が三井寺下から市公会堂に移転し、大津公民館の図書館を兼ねて開館する
1919年-第九連隊から1500名がシベリア出兵、大津駅で多数の見送りを受ける
785年-最澄が受戒し、近江国分寺の正規の僧侶となる
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