過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
浮世絵「鹿児島暴徒出陣図」(月岡芳年)PD
1873年2月22日(明治6年)
滋賀郡第二区(膳所・中庄・別保・西の庄・木下・馬場・松本の各村)に大阪鎮台兵補欠の募集がなされる 『滋賀県史』
明治6年1月に「徴兵令」が施行。滋賀県で最初の徴兵は翌年の明治7年から始まり、徴兵の前には志願兵の募集がありました。今日は滋賀郡第二区・犬上郡第一から十区・甲賀郡第四区・高島郡第十一区で大阪鎮台兵補欠の入隊希望者の募集がはじまった日。明治10年の西南戦争が終わるまでは、徴兵と志願兵の募集が同時に行なわれていたそうです。
京都大学の教授だった方のサイトに詳しい解説があります。
LINK:「歩兵第九連隊」(古屋哲夫の足跡)
徴兵令(ちょうへいれい、明治22年1月22日法律第1号)は、国民の兵役義務を定めた日本の法令。1873年(明治6年)に陸軍省から発布された後[1]、太政官布告によって何度か改定が繰り返され、1889年(明治22年)に法律として全部改正された。1927年(昭和2年)の全部改正の際に、名称も「兵役法」に変更され、1945年(昭和20年)に廃止された。
徴兵令 – Wikipedia
西南戦争(せいなんせんそう)、または西南の役(せいなんのえき)は、1877年(明治10年)に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱である。明治初期の一連の士族反乱のうち最大規模で日本最後の内戦となった。
西南戦争は、士族(武士)という軍事専門職の存在を消滅させて終焉した。士族を中心にした西郷軍に、徴兵を主体とした政府軍が勝利したことで、士族出身の兵士も農民出身の兵士も戦闘力に違いはないことが実証され、徴兵制による国民皆兵体制が定着した。
西南戦争 – Wikipedia
関連リンク
■古屋哲夫の足跡
■鎮台 – Wikipedia
■徴兵令 – Wikipedia
■西南戦争 – Wikipedia
その他の今日の出来事
1701年-堅田藩領で群方役人の交代が行なわれる
1373年-後光厳上皇が、妙法院の仰木庄領有を安堵する綸旨を下す
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