過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
1904年3月6日(明治37年)
第九連隊に日露戦争への動員令が出される 『第九連隊史』
大津市に駐屯していた歩兵第九連隊に、日露戦争への動員令が出された日。
当時の第九連隊は「第4師団」を構成する1連隊。
現在の大津商業高校のところに兵舎があり、皇子山総合運動公園のところに練兵場があったみたい。
第九連隊は日露戦争では利得寺、遼陽、沙河、黒溝台などで会戦し、1905年3月には日露戦争最後の会戦「奉天会戦」に参加したそうです。
日露戦争(にちろせんそう、旧字体:日露戰爭/日魯戰爭、ロシア語: Русско-японская война〈ルースカ・イポーンスカヤ・ヴァイナー〉)は、1904年(明治37年)2月から1905年9月にかけて大日本帝国(日本)とロシア帝国との間で行われた戦争である。
三国干渉後、満洲(中国東北部)と朝鮮半島の支配権を巡る争いが原因となって引き起こされた。陸戦では満洲南部の遼東半島や奉天が主な戦場となり、海戦では日本近海にて大規模な艦隊戦が繰り広げられた。最終的に両国はアメリカ合衆国政府の斡旋の下で、講和条約としてポーツマス条約を締結した。
日露戦争 – Wikipedia
奉天会戦(ほうてんかいせん、フォンティエンかいせん)は、1905年2月21日から3月10日にかけて行われた、日露戦争における最後の大規模な会戦である(日露戦争において最後の戦闘は樺太の戦いとなる)。
奉天は現在の中華人民共和国遼寧省の瀋陽。双方あわせて60万に及ぶ将兵が18日間に亘って満洲の荒野で激闘を繰り広げ、世界史上でも希に見る大規模な会戦となった。しかしこの戦いだけでは日露戦争全体の決着にはつながらず、それには5月の日本海海戦の結果を待つことになる。
参加兵力は大日本帝国陸軍24万人、ロシア帝国軍36万人。指揮官は日本側大山巌、ロシア側アレクセイ・クロパトキン。
奉天会戦 – Wikipedia
関連リンク
■日露戦争関係資料、歴史博物館に寄贈|大津市歴史博物館
■kanレポート 歩兵第9連隊
■「歩兵第九連隊」
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