1651年4月4日(慶安4年)
本多俊次が伊勢国亀山(三重県亀山市)より膳所に再封、以後、膳所城主は本多氏の世襲となる 『寛政重修諸家譜』
本多俊次が再び膳所藩主になった日。
本多 俊次(ほんだ としつぐ)は、江戸時代前期の大名。酒井忠次の孫。康俊系本多家宗家2代。
本多俊次 – Wikipediaより
文禄4年(1595年)、徳川氏の重臣(のち膳所藩初代藩主)本多康俊の長男として下総小篠で生まれる。慶長15年(1610年)に従五位下・下総守に叙任される。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では父と共に参加し、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では将軍・徳川秀忠に従って武功を挙げた。
元和7年(1621年)2月、父の死去により家督を継いで膳所藩主となる。しかし7月、5000石加増の3万5000石で三河西尾に加増移封された。寛永9年(1632年)10月23日、遠江掛川城の守備を務めた功績などにより、寛永13年(1636年)6月23日に1万5000石加増の5万石で伊勢亀山に加増移封された。そして慶安4年(1651年)4月4日、2万石加増の7万石で、再び膳所藩主として再任された。
これ以降、膳所藩は廃藩置県で膳所県となるまでの約220年間、本多家が藩主として治めました。
膳所藩(ぜぜはん)は、近江国滋賀郡膳所の膳所城(現在の滋賀県大津市)に藩庁を置いた藩。
江戸時代初期には短期間で藩主家が交替したが、そのうちの本多家が1651年に再封され、以後廃藩置県まで藩主を務めた。京都への入口を押さえる役割を担い、歴代藩主家はいずれも譜代大名である。本多氏(再封)時代の石高は7万石で、これは近江国では彦根藩(井伊家)に次ぐ規模である。
膳所藩 – Wikipedia
本多俊次は徳川四天王・酒井忠次の孫にあたります。
大河ドラマ「どうする家康」の酒井忠次は、家臣団のリーダー&宴会芸えびすくいが特技の人物で、大森南朋さんが演じていました。
そのほかの今日の出来事
871年-勢多橋が消失する
1994年-南すこやか相談所オープン
1990年-真野北幼稚園・小学校竣工
1989年-瀬田北幼・小学校竣工
1986年-石山駅北口に噴水「さざ波の詩」が完成
1953年-大津市立幼児院が南町に開設される
1953年-葛川村に江若バス朽木線が延長開通する(安曇駅-中村間)
1889年-滋賀県私立高等女学校が大津玉屋町に創立される(県立大津高女の前身)
1518年-延暦寺根本中堂の落慶供養があり、将軍足利義稙が臨席する
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