過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
672年5月12日(天武天皇元年)
唐の使節、郭務悰らを大津宮で迎接する 『日本書紀』
唐の使節、郭務悰(かく むそう)らが大津宮に来た日。この日に、唐の使節へ贈り物として大量の甲冑弓矢、絁(あしぎぬ:古代の絹織物)1673匹、布2852端、綿666斤を渡したそうです。
郭 務悰(かく むそう、生没年不詳)は、中国唐代の官吏。白村江の戦い後に日唐関係修復交渉のため、3度(あるいは4度)倭国(日本)を訪問している。
しばらくして12月3日天智天皇が崩御し、その知らせは翌年、阿曇稲敷を通じて郭務悰らに伝達された。郭務悰は哀悼の意を表し、喪服を着て、東に向かって拝んだ。その上で、唐の皇帝の国書の書函と信物(くにつもの)を進上した。しかし交渉はもつれたのか、その後も駐留し続けた。 交渉の末に唐使らに大量の甲冑弓矢と絁1,673匹、布2,852端、綿666斤の贈物をすることで5月30日帰国させた(『日本書紀』巻第二十八、天武天皇上 元年5月12日条、元年5月30日条) 。
郭務悰 – Wikipedia
関連リンク
■近江大津宮錦織遺跡 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!
■近江大津宮 – Wikipedia
■古代東アジア世界史年表(618~700年)
■日本書紀 – Wikipedia
■1017年 – Wikipedia
そのほかの今日の出来事
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1868年-大津県庁を東今颪町本福寺に移す(13日説も)
1687年-膳所藩が領内村々の人足徴発の手続きを定める
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