過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
1582年5月26日(天正10年)
明智光秀が中国攻めのため坂本城をたって丹波亀山城に向かう 『信長公記』
『中国攻め』をしていた羽柴秀吉を援護するため、明智光秀が坂本城を出て丹波亀山城へ向かった日。2日後に丹波亀山城に到着。
中国攻め(ちゅうごくぜめ)は、天正5年(1577年)以降に織田信長(織田政権)が主として羽柴秀吉に命じて行った毛利輝元の勢力圏である山陽道・山陰道に対する進攻戦。中国征伐(ちゅうごくせいばつ)とも称する。戦は足かけ6年にも及び、天正10年6月4日(西暦1582年6月23日)に講和するまで続いたが、その2日前、同月2日(西暦1582年6月21日)に本能寺の変にて信長が横死したためそのまま未完に終わった。
中国攻め – Wikipedia
このあと明智光秀は6月1日に丹波亀山城を出発し、6月2日に本能寺へ向かっています。
本能寺の変(ほんのうじのへん)は、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、明智光秀が謀反を起こし、京都本能寺に滞在する主君・織田信長を襲撃した事件である。
光秀が謀反を起こした理由については、定説が存在せず、多種多様な説がある。
本能寺の変 – Wikipedia
関連リンク
■本能寺の変 – Wikipedia
■坂本城址公園 | びわ湖大津トラベルガイド
■びわ湖大津よりどり観光ガイド<音声で紹介する戦国の大津歴史舞台>
■1582年 – Wikipedia
その他の今日の出来事
1990年-大津子ども環境探偵団の結団式
1989年-第二南部不燃物処分地完成
1954年-市立打出中学校の校舎8棟が焼失する
1180年-園城寺を出て奈良に向かった以仁王と源頼政が、宇治で平家の追討軍と戦い、敗死する
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