過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
952年6月23日(天暦6年)
逢坂や和邇などで疫神をはらうための四角四堺祭が行なわれる 『朝野郡載』
疫病を流行らせる疫神・疫鬼の侵入を防ぐため、陰陽寮などの官人が四角四堺祭(しかくしかいのまつり)を執行した日。京都御所の四隅(四角)と、会坂(逢坂)・和邇・大枝(京都市西京区)・山崎(京都府乙訓郡)の四堺で、祭祀が行われたみたいです。
疫神は人と同じように道を歩いてくると考えられていたので、交通の要所である関所のあったところが四堺となっていました。これから約500年後の室町時代に行われた四角四堺祭では、四堺が和邇から竜華(伊香立上龍華町あたり)に変わっています。竜華にも関所(竜華関)が置かれていたそうです。
四堺(しさかい)とは、平安京のある山城国の四維(北西、南西、南東、北東の隅)にあたる大枝・山崎・逢坂・和邇の4つの地点の事。外部からの穢れが平安京へ侵入する進路と考えられていた。
四堺 – Wikipedia
- 大枝 – 現在の京都府亀岡市の老ノ坂峠。山陰道の入り口で丹波国との国境。
- 山崎 – 現在の京都府大山崎町大山崎・大阪府島本町山崎。山陽道(及び難波津経由で外洋)の入り口で摂津国との国境。
- 逢坂 – 現在の滋賀県大津市の逢坂山(逢坂関で知られる)。東海道及び東山道の入り口で近江国との国境。
- 和邇 – 現在の滋賀県大津市和邇。北国街道(及び愛発関経由で北陸道)の入り口で近江国との国境。
関連リンク
■四角四堺(境)祭 – 平家物語・義経伝説の史跡を巡る
■陰陽道祭祀の一考察: 鬼気祭・四角四堺祭を中心に(PDF)
■952年 – Wikipedia
その他の今日の出来事
1934年-瀬田川の東海道線鉄橋付近で3万尾の魚が斃死し、盛越川から取水している水田の稲が枯死する
1909年-県立女子師範学校・県立大津高等女学校の新校舎が大津市東浦に竣工し、移転する
1653年-禁裏御所が焼亡、膳所藩が消火のため出仕する
1200年-延暦寺の訴えにより、藤原公継が左衛門督・検非違使別当を解任され、能宗が隠岐国に流される
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