7月7日【今日は何の日?】画家の紀楳亭(九老)が大津町で没する

    過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。

    大津八丁往来図屏風(Scenes of Ōtsu — Calisphere)PD

    1810年7月7日(文化7年)
    画家紀楳亭(九老)が大津町で没する 『紀楳亭墓碑文』

    画家の紀楳亭が亡くなった日。享年77歳。

    紀 楳亭 (き(の) ばいてい、享保19年(1734年) – 文化7年7月7日(1810年8月6日))は、日本の江戸時代中期に活躍した絵師。与謝蕪村の高弟で師の画風を忠実に継承し、晩年大津に住んだため、近江蕪村と呼ばれた。

    山城国鳥羽出身。俗称は立花屋九兵衛。楳亭は画号(当初は画室の号)で、俳号は梅亭。名は時敏、字は子恵、仲文。大津移住以前は、「巖」姓と、名に「郁」を用いて巖郁と称し、移住後は紀姓を名乗った。還暦後は九老という号で署名しており、大津の人々にも「九老さん」と親しまれている。

    紀楳亭は与謝蕪村の弟子で、55歳のときに鍵屋町(大津市長等あたり)へ移住してからは「九老」と作品に署名するようになったそうです。当時の大津町札の辻付近のにぎわいを屏風に描いた「米浜初午 大津八丁往来図」(ミネアポリス美術館蔵)は代表作のひとつとのこと。

    長等2丁目には「紀楳亭居住之地」の石碑があります。

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