過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
1634年7月9日(寛永11年)
将軍徳川家光が上洛の途中、膳所城に入り、翌日は船で湖水を遊覧する 『徳川実記』
江戸幕府第3代将軍の徳川家光が膳所城に来た日。翌10日には船で琵琶湖を遊覧したそうです。
徳川 家光(とくがわ いえみつ)は江戸幕府の第3代征夷大将軍(在職:1623年 – 1651年)、乳兄弟に稲葉正勝・稲葉正吉・稲葉正利がいる。
15人の徳川将軍のうち、(父親の)正室の子は、家康・家光・慶喜の3人のみであり、さらに将軍の御内室(御台所)が生んだ将軍は、家光のみである。
生涯
寛永18年(1641年)には嫡男の竹千代(後の4代将軍・家綱)が生まれた。寛永11年(1634年)に家光は30万の大軍を率いて3度目の上洛を行い、後水尾上皇による院政を認めて紫衣事件以来冷え込んでいた朝幕関係を再建することで、国内政治の安定を図った。
徳川家光 – Wikipedia
膳所城(ぜぜじょう)は、現在の滋賀県大津市本丸町にあった日本の城である。
現在は完全に陸続きとなった本丸跡は「膳所城跡公園」として整備され、石垣がわずかに残っているほか、門が模擬再建されている。城門は膳所神社(本丸大手門)、篠津神社(北大手門)、鞭崎八幡宮(南大手門)に現存しており、それぞれ国の重要文化財に指定されている。なお、高麗門は大阪府泉大津市松之浜町2丁目の「細見記念財団」が所有する地に移築されている。市内の芭蕉会館に本丸隅櫓が移築され現存しているが、大幅に改造されており原形を留めていない。
膳所城 – Wikipedia
関連リンク
■膳所城跡公園 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!
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