過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。
671年11月23日(天智天皇10年)
大津宮の内裏西殿の織物の仏像の前で、左大臣蘇我赤兄ら5人の高官が大友皇子に忠誠を誓う 『日本書紀』
5人の高官(蘇我赤兄、中臣金、蘇我果安、巨勢人、紀大人)が大友皇子に忠誠を誓った日。
9月から病に伏していた天智天皇が崩御する10日ほど前の出来事です。
天智天皇10年(671年)1月2日、蘇我赤兄と巨勢人が殿の前に進み、賀正のことを奏した。赤兄の位はこのときも大錦上であった。5日に、大友皇子(弘文天皇)が太政大臣、蘇我赤兄が左大臣、中臣金が右大臣、蘇我果安、巨勢人、紀大人の3人が御史大夫に任命された。
同じ年の11月23日、大友皇子と左大臣蘇我赤兄、右大臣中臣金、御史大夫の蘇我果安、巨勢人、紀大人は、内裏の西殿の織物仏の前で「天皇の詔」を守ることを誓った。
すなわち、大友皇子が香炉を手にして立ち、「天皇の詔を奉じる。もし違うことがあれば必ず天罰を被る」と誓った。続いて赤兄ら五人が順に香炉を取って立ち、「臣ら五人、殿下に従って天皇の詔を報じる。もし違うことがあれば四天王が打つ。天神地祇もまた罰する。三十三天、このことを証し知れ。子孫が絶え、家門必ず滅びることを」などと泣きながら誓った。
ここでいう「天皇の詔」の内容は不明だが、一般には天智天皇の死後大友皇子を即位させることだと考えられている。
蘇我赤兄 – Wikipedia
この翌年に、壬申の乱が起きています。
壬申の乱(じんしんのらん)は、天武天皇元年6月24日 – 7月23日、(ユリウス暦672年7月24日 – 8月21日[注釈 1])に起こった古代日本最大の内乱である。
天智天皇の太子・大友皇子(1870年(明治3年)に弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が兵を挙げて勃発した。反乱者である大海人皇子が勝利するという、日本では例を見ない内乱であった。
名称の由来は、天武天皇元年が干支で壬申(じんしん、みずのえさる)にあたることによる。
壬申の乱 – Wikipedia
関連リンク
■弘文天皇 – Wikipedia
■壬申の乱 – Wikipedia
■671年 – Wikipedia
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