5月26日【今日は何の日?】1582年 明智光秀が中国攻めのため坂本城をたって丹波亀山城に向かう




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    過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。

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    坂本城址公園の明智光秀像

    1582年5月26日(天正10年)
    明智光秀が中国攻めのため坂本城をたって丹波亀山城に向かう 『信長公記』

     明智光秀が中国攻めをしていた羽柴秀吉を援護するため、坂本城を出て丹波亀山城へ向かった日。

     となっていますが、翌月に明智光秀は中国地方ではなく、織田信長のいる本能寺へ進軍しています。6月1日に丹波亀山城を出発し、6月2日に本能寺へ。そして『本能寺の変』が起きたそうです。

    明智光秀は、甲州征伐から帰還したのち、天正10年(1582年)5月15日より安土城において武田氏との戦いで長年労のあった徳川家康の接待役を務めた。しかしながら、17日に光秀は接待役を途中解任されて居城・坂本城に帰され、羽柴秀吉援護の出陣を命ぜられた。

    解任の理由は、15日に秀吉から応援の要請が届いたためであった。26日には別の居城丹波亀山城に移り、出陣の準備を進めた。

    愛宕権現に参篭し、28日・29日に「時は今 天が下知る 五月哉」の発句で知られる連歌の会(愛宕百韻)を催した。この句が、光秀の謀反の決意を示すものとの解釈があるが、句の解釈は種々ある。

    本能寺の変 - Wikipediaより

     先日、明智光秀の子孫が書いた『本能寺の変についての新説本』が紹介されてたのでついでに置いときます。
    LINK:本能寺の変は豊臣秀吉の捏造だった? 歪曲された歴史の事実とは - ライブドアニュース

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    関連リンク
    本能寺の変 - Wikipedia
    びわ湖大津よりどり観光ガイド<音声で紹介する戦国の大津歴史舞台>
    1582年 - Wikipedia

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