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    5月22日【今日は何の日?】木の岡町の「幽霊ビル」が爆破解体される

    過去の大津の【今日】の出来事を紹介します。

    1992年5月22日(平成4年)
    木の岡町の「幽霊ビル」が爆破解体される

    大津市木の岡町にあった「木の岡レイクサイドビル」(通称:幽霊ビル)が爆破解体された日。爆破の瞬間を4万2000人の見物客が見守っていたそうです。

    日本でビル解体に爆破解体を行った例としては、滋賀県大津市木の岡(このおか)町の琵琶湖湖畔に建っていた木の岡レイクサイドビルの解体工事(1992年5月22日実施)がある。このビルは、大阪万博来場客を当てこんだ鹿児島県の業者が観光ホテルとして1968年に着工したものだったが、後に資金難から工事が中断し、そのままとなっていたものである。暴走族の溜まり場になっているなどの苦情が出ており、早期に解体を望む声はあったものの解体費用がネックとなり、20年以上も野ざらしにされていた「幽霊ビル」「幽霊ホテル」だった。

    後に京都府の業者がこの敷地を買い取り、ビルを解体しその跡地にリゾート施設を新たに建設する計画を立てたが、ビル解体についてはコスト面からダイナマイトによる爆破解体を選択し実行したのだった。ところが、その会社では当時社内に火薬類取扱保安責任者資格を持つ者がいなかったため、全社を挙げて資格取得に臨んだものの、資格試験に合格したのは当時入社数年程度の事務の女子社員2名のみであったという。

    ビル爆破の当日は最寄り駅であるJR叡山駅(現・比叡山坂本駅)周辺を中心に大賑わいとなり、現地にはその瞬間を見ようと4万人以上もの観衆が訪れた(屋台まで出店した)ほか、ヘリコプターが多数飛び交うなどマスコミも大挙押し寄せ、地元局のBBCびわ湖放送に至っては生放送の報道特別番組を編成した。

    そして定刻より1分遅れの13時01分にスイッチが入れられ、ビルは発破解体されたものの、上から雪崩のように崩れたわけではなく、主に横倒しになっただけであった。これは、実際は法規制の問題などもあり、少量の火薬(100g×2,809本=280.9kg)でビルを倒壊できるよう琵琶湖側に横倒しする方法を選んだものであった。

    ちなみに、爆破解体計画が持ち上がった当初は周辺住民からの反対運動もあったため、業者がわざわざオーストラリアに住民を招待し実際の解体現場を見せるなどして説得にあたったというエピソードもある。

    その後、バブル崩壊もあり解体された跡地にはリゾート施設は建てられず、瓦礫の山のまま野ざらしとなっていたが、2001年に跡地を含む土地を滋賀県が購入し、比叡辻臨水公園として整備、「木の岡ビオトープ」として自然環境の保護に努めている。なお、現在跡地にはソーラーパネル群が並べられている。

    爆破解体 – Wikipedia
    地図ではこのあたりにありました

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    コメント

    コメント一覧 (1件)

    • 通称、化けビル。この土地を所有する歴代の方々は全て破滅の道繋がるいわくつきの物件でした。
      記事に暴走族の溜り場と言う記述は間違いで、概ね県外からの心霊スポット的な場所でした。
      バブルの影響も既に数年経過しており、どちらかと言えば公的援助もあり緩やかに上向きの時でした。

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